orange512の日記🧡

はやく目覚めた母になりたい!ただ今修行中☺️

三姉妹の真ん中で

 私は両親が転勤族で、関東に小2まで住んでいた事がある。上と下に3つ離れた姉と妹がいて両親の5人核家族で、両親を困らせないように母親の機嫌が良くないと直ぐに察知し、父親が考えている事を先回りして予測するアンテナだけは常に立てていたように思う。

 俗に言う手のかからない子どもを必死に演じていたと今思えば感じる。

 引っ越ししたらなかなか来られないからと、関東を引っ越す直前に東京ディズニーランドのスペースマウンテン(確か、暗闇の空間を高速でジェットコースターがすり抜けるタイプ)に乗った恐怖体験がある。

 

身長制限のボーダーラインをギリギリ通過してしまったのだ。⤵

子どもながらに、もっと楽しい体験の方が良かったのにとコースターを降りて涙目になりながら思った記憶も残ってる。 

 

続いて住んだ所は、関西の中でもちょっとクセのある?!京都。

小3で1年ばかり父の知人の借家を借りて住んだ所と、JR駅近くの便利な場所に住んで

20代半ばで結婚するまでは京都の洗礼を色んな意味でを受けて大人になった。

上の姉は短大を出て、就職難の中自分の進みたい道には就職出来ず社会人2年して日本を飛び出すように国際結婚🌺

 

 私は姉の進路を横目に見ながら、資格の取れる学部に進学し、資格を活かして小さい子どもの集団生活をサポートする教師の道へ。社会人5年目にして、このままでは出会いもなく、社会的責任のある立場になり婚期を逃すと婚活を始める。

 今から思えば、私は3・4歳くらいからおてんば娘で専業主婦だった母親に家で見守られるタイプでは無かったらしく保育園に頼み込んで保育園で保育されるたくましい女の子だった。

 というのも、妹が重度のアトピーだったから

私の母親は皮膚科三昧で当時の医者から言われるままに洗剤や食べ物アレルギーに敏感になりすぎてノイローゼになっていたからだ。

 母から聞いた話では、当時食欲の落ちた母にパン🍞を焼いて食べるように3歳の私が母に用意したらしい。

 アトピーという厄介物のお陰で、私は元気の無い母親をはげまし、本来なら幼稚園生活で母親の愛情弁当を食べて生活するはずだった時間を完全に奪われたのだ。

 とまあ、私のことも少しずつ書いていこうと思ったりしています。